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宮崎勤連続幼女誘拐殺人事件

みやざきつとむれんぞくようじょゆうかいさつじんじけん

概要

1988〜1989年
警察庁広域重要指定117号『連続幼女誘拐殺人事件』

オタクという言葉を世間に広める結果になった事件。犯人とされる宮崎勤(1962年生まれ、2006年1月に最高裁で死刑が確定)が連続的に計4人の幼女を誘拐し殺害した。M君事件とも呼ばれる。
事件の大まかな概要はページ末尾の資料を参照のこと。

事件は1988年8月22日今野真理ちゃんの行方不明事件から始まる。その後短期間に連続して幼女が誘拐された。宮崎勤は遺族へ遺骨・手紙等を届けることによって事件の表へ姿を現し、今田勇子という名で犯行声明を出した。(資料参照)
裁判では「遺体を食べた」などと残虐かつ非道な行為を自供するなど、正常な心理状態とは思えない供述をしたが、複数回にわたる精神鑑定では異常を認められなかった。

犯人・宮崎勤は死刑判決を受けている。

社会に与えた恐怖と、オタクへのイメージ

この事件は当時の社会に対して大きな衝撃を与えた事は言うまでもないであろう。テレビ番組などでは地下鉄オウムサリン事件と並んで特集されるほどである。それによってペドフィリアやオタクに偏見が生まれたことにより社会的な情勢までもを変化させてしまったのも事実である。
オタク=気持ち悪い・変態』の方程式はこの事件がきっかけにできたものであることが定説である。

事件後宮崎勤の自室の写真が報道されたが、それに写された大量のポルノビデオの山は撮影した記者によって捏造されたものであることが当時事件を現場取材していた読売ウィークリーの木村透デスクによって公式のブログ上で明かされた。(実際は写真に写る部分にポルノを置き、他の部分もすべてポルノであるように見えるようにした。)
当時のマスコミが、オタクを性犯罪者予備軍として強調しようとした姿勢がうかがえる。
ブログの文章については資料を参照。

資料

宮崎勤を中心に見た年表

1962年
8月21日長男として誕生
1988年
5月16日祖父死去
8月22日埼玉県入間市の今野真理ちゃん(当時4歳)行方不明
10月3日埼玉県飯能市の吉沢正美ちゃん(当時7歳)行方不明
12月9日埼玉県川越市の難波絵梨香ちゃん(当時4歳)行方不明
15日埼玉県名栗村の山林で難波絵梨香ちゃんの全裸死体が発見
20日難波絵梨香ちゃん宅に<絵梨香 かぜ せき のど 楽 死>と書かれた葉書きが届く
1989年
1月中旬今野真理ちゃんの遺骨を拾って被害者の両親に届け、死んでいることを知らせようと殺害現場へ
2月6日今野真理ちゃん宅に<真理 遺骨 焼 証明 鑑定>と書かれた紙片と骨片などが入ったダンボールが届く
10日今野真理ちゃん事件に関する「今田勇子」の名で犯行声明文が朝日新聞東京本社に届く
11日同じ犯行声明文が今野真理ちゃん宅に届く
3月11日「今田勇子」名の告白文が朝日新聞東京本社と真理ちゃん宅に届く
6月6日東京都江東区東雲で、野本綾子ちゃん(当時5歳)が行方不明に
6月11日飯能市の宮沢湖霊園のトイレ脇でで野本綾子ちゃんの胴体が発見される
7月23日東京都八王子市で幼女の全裸写真を撮っていた宮崎勤(27歳)を強制猥褻の現行犯で逮捕
8月7日宮崎勤、猥褻容疑で起訴される
8月9日宮崎が野本綾子ちゃんの誘拐殺人を上申書にて自供
8月10日宮崎の自供に基づき東京都奥多摩町で野本綾子ちゃんの頭部を発見。マスコミが報道開始
8月11日警視庁が宮崎を再逮捕、身柄を深川署へ護送警視庁と埼玉県警の合同捜査本部設置
8月13日宮崎が今野真理ちゃん、難波絵梨香ちゃんの誘拐殺人を自供
8月24日宮崎、徳井達司医師による簡易精神鑑定を受ける
9月5日宮崎が吉沢正美ちゃんの誘拐殺人を自供
9月6日自供に基づき吉沢正美ちゃんの遺骨と衣類を東京都五日市町の日向峰付近の山中で発見
9月8日埼玉県警が今野真理ちゃん事件で逮捕。身柄、狭山署へ
9月13日自供に基づき今野真理ちゃんの遺骨を五日市町で発見
10月19日身柄、狭山署から東京拘置所へ移送
1990年
3月30日東京地裁で第1回公判。幼女の「両手は自分で食べた」と述べる
3月31日立川簡裁で宮崎の両親が検察側証人として出廷し,非公開で証人尋問が行われる
1992年
3月慶応大・保崎秀夫教授らによる精神鑑定(第1回鑑定)
3月31日「善悪を判断し、その判断に従い行動する能力は保たれていた」と責任能力を認める保崎鑑定書提出
11月11日初の被告人質問で「祖父の遺骨を食べた」などと供述。弁護側が再鑑定を申請
12月18日再鑑定を内沼、関根、中安の3人に委嘱。公判中断
1994年
11月帝京大・内沼幸雄教授らによる精神鑑定(第2回鑑定)
11月21日宮崎の父、多摩川に投身自殺
11月25日「多重人格を主体とする精神病で、善悪の弁識能力などが若干減弱していた」として責任能力は限定的とする内沼・関根鑑定書提出
12月19日「精神分裂病で心神耗弱に相当するが免責される部分は少ない」とする中安鑑定書が提出
1996年
10月7日第36回公判で検察官が死刑を求刑
12月25日弁護側が最終弁論で「心神喪失か心神耗弱だった」と主張
1997年
4月14日第38回公判で死刑判決が言い渡される(→控訴
2001年
6月28日東京高裁、控訴を棄却。2審も死刑判決

(参考:仮設の彼岸http://tasa5600.hp.infoseek.co.jp/)

犯行声明 (1989年2月10・11日)

 今野まりちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。
 この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人でしたことです。私がこうして真実を述べるのには、理由があるからです。
まず、あの段ボールに入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。
その証かしを立てます。
 まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう。
 去る8月22日、私は、私には、どうしても手をのばしても届くことのない子供を、今日一日は自分のものにしたい思いにかられ、入間ビレッジの8号棟裏に車を止め、あのプールでは、親に送り向かえをされない、一人で行き帰りをする子供達の方が多いことを、日頃から知っている私は、そのプールの出口付近に一人で立っていました。
 すると、真理ちゃんと、兄弟の男の子と二人が出て来て、ポストの所で別々になり、真理ちゃんは、一人で家に帰る様子でした。水着で歩いて行くので、家が近い筈だとにらみ、つけ回す距離も短くてすむと思ったのです。……思った通り、真理ちゃんは家へ入りました。母親も中に居たよウです。さて、私は、母親の顔を見てから立ち去ろうと思い、7号棟入口付近に立っていましたが何と真理ちゃんが、すぐに出て来たのです。……そして、真理ちゃんが歩道を渡ると私は確信したので、私は、通りを走って、歩道橋の向こう側から走ってのぼり、上で真理ちゃんを待ち伏せ、言葉をかけて、真理ちゃんをつかまえます。うまくいったといウより、女同志でしたので、真理ちゃんは怪しまなかったと説明した方が適切でしょう。話しが、思ったより、思い通りにまとまり、「私が、車のクーラーを先に行って、かけているから、少したったら来てね。」と言って、先に車へ行き、乗って待った所、すぐに真理ちゃんは一人で来ました。……
 そして、車を出しました。さすがに、「私をどこに連れてくの。」と、いつ聞かれるかひやひやしていましたが、急に、「私、泳ぎたいの。」と、真理ちゃんが言い出したのです。願ってもない展開でした。即座に、「おばさんもちょうど、川へ行きたかったところなの。」と、口を合わせました。……
 とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。やはり数人の人とすれちがいました。が、私達が、親子に見えたのでしょう。一人も怪しむ人は居ませんでした。
 ここに証しの一つを立てましょう。新聞やテレビで、よく真理ちゃんの写真が掲示されましたが、プールからあガった真理ちゃんのぬれた髪は、その、どの写真の髪型のものでもありません。これは私しか知らない事実であります。つまり、たとえ私達を目撃した人が、真理ちゃんを見たにしても、“テレビでお捜しの真理ちゃん”を見ていないのです。
 そこで、真理ちゃんを泳かせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私達二人を誰かが見ていないかどウカを見守ります。居る様子はなく、来る様子さえありませんでした。すると、誰も来そウにないという気が集中して、異様な程に、胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。そして、子供を産むことが出来ないくせに、こうして目の前に自由な子ガイルといウ、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃんを家に帰しては……」といウ思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」といウ思いのよぎりガ交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりガ一気に爆発し、目の前の水を武器に、私は、真理ちゃんの髪の毛をつかみ、顔を川へ沈め、決して自分ガ、いいといウまで、頭を水面から上げさせませんでした。……
 さあ、今度は隠さなくてはなりません。私は、近くの、背たけ以上もある夏草の茂みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。
走りながら、おしゃべりをしていると、雨が急に降ってきました。その時、私に、口実が一つ増えました。「雨が降ってきたから、入間川じゃない川へ行こうね。」と言い、さらに、理由良くして、団地から遠ざかります。
 とある川に着き、車を降り、二人で歩いて川まで行きます。やはり数人とすれちがいました。が、私たちが、親子に見えたのでしょう。一人も怪しむ人は居ませんでした。
 そこで、真理ちゃんを泳がせ、真理ちゃんを見守るのではなく、私たち二人を誰かが見ていないかどうカを見守ります。居る様子はなく、来る様子さえありませんでした。すると、誰も来そうもないといウ気が集中して、異様な程に、胸が高まってくると、なぜかモヤモヤしてきました。そして、子供を産むことができないくせに、こうして目の前に自由な子ガイルといウ、自分にとっての不自然さが突如としてぶり返し、「このまま真理ちゃんを家に帰しては…」といウ思いのよぎりと、「今なら誰も見ていない」といウ思いのよぎりガ交差し合い、モヤモヤした、とめどもない高なりが一気に爆発。
 さあ、今度は隠さなくてはなりません。私は、近くの、背たけのある夏草の茂みの中へ、だっこをして持って行き、そこへ置いて逃げました。
 真理ちゃん宅に段ボールを置いた後の報道以来、犯人は今まで遺体を隠し持っていたと思われていますが、とんでもありません。いちいち持ち運ぶ余裕など、犯人にあるわけがありません。私は、つい最近まで、私しカ知らない場所で、真理ちゃんを持ち続け(置き続け)ていたのです。
 では、どうして真理ちゃんの遺骨を運ぶようなことをしたのかを説明します。
 真理ちゃんを手にかけた翌日、ニュースで「真理ちゃんが不明となり、まだ見つかっていません。」と聞きました。「ああ、まだ、あのままなのか」と思うと同時に、「行ってみようかよそうか」の迷いが消えたので助かりました。ところが別の番組で「真理ちゃんの母親が寝込む寸前」だと聞かされた時は、今まで「真理ちゃんに悪いことをした。」とだけ思っていたのが、初めて「真理ちゃんを可哀そうに」と思いました。
 私は、今の今まで、一人で苦しんできました。正美ちゃん、絵梨香ちゃんの事件が起こりました。おそらく、私の事件に、触発された誰かが、面白半分に起こしたのでしょう。テレビで父親が、「(死んでいても)早く見つかって良かった。」と、話しているのを見て、初めて私にも何か決心じみたものが芽ばえました。「夜ならば、真理ちゃんの遺体を、そのうちにみつかりそうな場所まで運べるかもしれない。」と思いました。
 そして、やはり、また、やろうかよそうかと迷い続けてきましたが、先日、やっと決心が着き、実行することにし、現場へ行きました。
 ところが、どウでしょう。てっきり、冷たくかたくなった人間ガそこに居ると思っていたのに、何とそこには、真理ちゃんの骨だけになっているではありませんか。私は、思わず「ギャーッ」と悲鳴をあげそうになる程、近づくのもいやになり、もう私は何があってもたずさわるものかと一目散さんに逃げました。ところが逃げながらも、故か一つ何かが頭に浮かんだのです。「骨なら箱に入る。骨だから箱に入れて、人に見られても運んで行ける。」
 と、急に、利点が頭に浮かんだのです。そして、逃げるための走りが、実行に移す(箱をとりにゆく)急ぎ足へと変わったのです。今の今まで、どうにかして、良心に知らせたくてしかたがなかったのですが、今回こうして、真理ちゃんが骨になっていさえしなければ、家まで帰そうなんて気にはならなかったです。
 これは明らかに、真理ちゃんの骨です。遺骨を焼いていたら自然に骨は崩れてゆき――人間は骨になると、まず、その骨は、予想以上に小さくて、少なくなるんですね。箱には、拾った骨を全て入れたつもりです。今、この一件が、「恨み」だとか、「いたずら」「いやがらせ」「挑戦」だとか言われていますが、全く違います。私は、あくまでも、真理ちゃんを「帰し」に来たのです。
 私はただただ真理ちゃんを帰しに行ったのです。ですから早く、真理ちゃんの御葬式をあげてやって下さい。あれが真理ちゃんなのです。本当なのです。
 誠に身勝手ながら、私は、やはり捕まりたくはございませんが、このようなことは、もう決していたしません。
 先日、テレビを見て、母親が警察から誤報を聞き「これでまた待つ希望が持てました。」と話しているのを見た時に、これは、きちんとすませてあげなければいけない。このままでは、本当に永久に真理ちゃんに気付かずに、家族は一生を終わってしまうと思い、これだけはと、急いで声明文を送った次第です。
 あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ。

『格闘する読売ウイークリー編集部』(ブログ)の記事

日付:2005.11.12
タイトル:いったいどうなっているのか
本文:女子高生がタリウムを母親に飲ませたかと思えば、
今日は同級生の女の子を殺した疑いで高1の男子が逮捕。
いったい、どうなっているのでしょう。
とても理解できません。

10年ほど社会部にいたので随分事件取材もやらされました。
警視庁記者クラブでは、
詐欺とか汚職などの知能犯を扱う捜査2課の担当だったせいで、
その後もそんな事件ばかり取材しました。
知能犯ですから、頭を使った犯罪なのですが、
動機はほとんどが「お金」。
その点では、大変わかりやすいのです。

理解不能と思った事件も、多くはありませんが、経験しました。
忘れられないのは、平成元年の「宮崎勤事件」です。
幼女4人の連続誘拐殺人。
オウム以前の、戦後最大の事件かもしれません。

ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
宮崎勤が逮捕されたという一報で、
五日市町の彼の自宅に急行しました。

なんと、まだ警察官も来ていなくて、
3−4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。
そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、
彼の父親はどうぞ、どうぞ。
母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。
幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、
5,6人の記者でじゃんけん。
で、私が一番になった、というわけです。

部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
四方の壁面がすべてビデオテープで埋め尽くされていたのです。
テレビとビデオデッキが3−4台あったと記憶しています。
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。

おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
大慌てで、ビデオのタイトルを写したのですが、
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。

なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。

その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。

ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
それでもやっぱり、事実とは違ったのです。
高校生逮捕の夕刊を見て、
そんなことを思い出しました。
(苦悶デスクこと・木村透)

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最終改訂: 2015/Aug/24 Mon 03:48:07 JST (610d)